設問:あなたの知る架空の人物から、至上最低と思われる存在をひとつ、理由と共に述べよ。
回答:ゼウス(ギリシア神話・主神)。己のしたことに責任を持たないという意味で究極的に支配者らしいから。
嫉妬で何故か夫ではなく相手の女性はおろか子供まで呪う鬼嫁=ヘラも入れたいところですが、それはさておき。
いきなりこんなことを書いていますが、自分は(現在は)ギリシア神話に恨みがあるわけではありません。ただ事実として、ギリシア神話を覗くと、一般的な英雄譚の他に、不倫やら誘拐やら近親相姦やら。気に入らない人間を呪うなんて日常茶飯事。渇いた笑いで本を閉じたくなる話が探せば探すだけ出てきます。
まあどこの神話も、多かれ少なかれそんな話はあるのですが……ことギリシア神話は顕著に思えてなりません。自分の個人的見解のほかに、何か理由があるのでしょうか。
脱線しかけましたが、以上のような理由で、自分は長いことギリシア神話が苦手でした。
子供時代特有の潔癖症と言ってしまえばそれまで。ですがカトリック系の教会が経営する保育園(笑)で幼少時代を過ごした自分は『神さま=完全無欠な存在』の印象が強かったようです。
基督教では(イスラム教でも)神様はひとり、しかも絶対存在とされていますからね。
神様と名がつくくせに、妙なところで人間くさいギリシアの神様は、どうしてもなじみませんでした。
そんな状態が二十年近く続いて去年、大学3年生。とある一般教科の授業で、先生がこんな内容のことを言っておられました。
「ギリシア神話の神は非常に人間に近い存在として描かれる。道徳的に批判される行動も多い。だがそれでも彼らは神なのである。どんな行動をとろうと、彼らは神である。神は完全無欠であるべきだ、という見方自体が、彼らを神に相応しくないものと見せている」
それで納得がいきました。
神様だろうと英雄だろうと、大統領だろうと総理大臣だろうと、もっと近い例なら社長だろうと校長だろうと。
『そうした称号を持つならば、人間的に立派である』という式は成り立たないのです。
逆の『人間的に立派な人ならば、そうした称号を持つ』という式もまた然り。
『人間』の中にも色々な性格の人間がいるのと同じ、ということでしょうか。
けれど名前が知られれば知られるほど、観る人はその人物に、名に相応しい人間性を求めるようです。そして小さな傷でも見つけたが最後、世界の終わりとばかりに声を張るようです。
神様も大変だなあ……等と、この間まで苦手としていた相手に、僅かばかり同情すら覚えてしまいました。
そう言えば、大学の先生にもひとりいらっしゃいます。
現役弁護士で理数の研究者で、海外や官公庁での経験も豊富な、けれども人間としての発言がとことん不穏当な方。
初めてその語り口に触れたとき、軽い失望と共に、東大卒と聞いただけで何処かで何かを期待していた己にも気がつきました。
……自分もまだまだ俗物であります。ふう。
(2007.04.26)